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ゆっくり!のんびり!中山道ウォーキング

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笠取峠頂上から長久保宿まで

START8月某日早朝、笠取峠の頂上に集合しました。「おはようございます。中山道の素晴らしさを再確認するため、長い道のりですが、よろしくお願いします。」「私は歩くことが大好きなんで、今日は万歩計を持ってきました。ここから和田峠の頂上まで何歩、歩くのか楽しみです!日中は陽射しが強いので帽子と水は忘れないようにね。」と美絵さん、いつも元気いっぱいです。出発前に、そもそも中山道とはどういう道だったのかを、勝見さんに説明してもらいましょう。「中山道は五街道のひとつで、慶長七年(1602年)に徳川家康が整備しました。江戸の板橋から、近江(滋賀県)の大津までの六十九宿で、山深い木曽谷を通ることから、「木曽街道」とも呼ばれ、また、和宮の御降嫁に代表されるように、姫様の嫁入りには中山道が多く利用されました。今日は霧がかっていて浅間山が見えませんけど、昔、この辺には茶屋がありました。和田峠も急な峠ですが、笠取峠も急ですよね。昔の人々は、きっとこの茶屋で一息入れたのでしょう。私たちもそろそろ出発しますか。」勝見さんの説明を聞きいよいよ出発です。
銀名水峠を下り始めたすぐ左手に「金明水・銀明水」という立て札を見つけました。現在、この湧き水は長久保地区の有志の皆さんの手によって再発見されて、標柱と説明板が立てられています。
長久保宿入口学者村総合管理センター横を通り、中山道の原道が見えてきました。先日、この原道も長久保地区の皆さんが整備をしてくれたおかげで、とても歩きやすく、当時の旅人になった気分で楽しく歩けました。原道と旧笠取峠を交差しながら歩いていくと、長久保若衆会の皆さんが立てた「長久保宿」という立派な標柱が見えてきました。隣に祭られている道祖神にお参りをし、長久保宿へと突入します。

長久保宿( 竪町)

吾一庵「わぁ〜とても綺麗に整備されてますね!舗装も新しくなっているし、屋号看板も立派です。」と美絵さんが一福処濱屋の前で足を止めました。「そうだね、昨年新たに舗装され、屋号看板も新設されたんだ。この屋号看板を見るだけで、当時の街道の雰囲気が出
てくるよね。ちょうど歩き出して1時間。一福処濱屋で休憩していこう。」と勝見さんに案内され、濱屋の中に入りました。
お茶はセルフサービスで飲むことができ、座敷からは整備された庭園を見ることができます。5月には、向かいの天神山にツツジの花が咲き乱れ、とても綺麗なんです。また濱屋は長久保宿の資料館でもあり、当時の人々の生活の様子を伺ことができます。無料開放されていますので、皆さんもぜひ訪れてみてください。

長久保本陣休憩を終え、いよいよ長久保宿本陣です。長久保宿本陣は民家のため、見学することは難しいのですが、今回特別に見学させてもらいました。家主の石合知子先生に「関札」や「上段の間の書院造り」などの説明をしていただき、当時、長久保宿を訪れた旅人の様子を知ることができました。先生ありがとうございました。長久保宿本陣を出発して、次は釜鳴屋さんです。当時は造酒屋を営んでいました。長野県でも最も古い町屋で、火事にならないよう注意を促すために吊るされている「みずき縄」の由来を聞いて、当時の人々の生活の知恵を学ぶことができました。

長久保宿(横町)

濱田屋釜鳴屋さんを出るとすぐ、3階建ての浜田屋旅館さんが見えます。
この浜田屋旅館さんは、長久保宿唯一の旅館で、女将の黒澤直子さんに旅館の中を案内してもらいました。館内同様、日本庭園も落ちついた雰囲気で素晴らしかったです。今でも多くの旅人がこの宿を利用するそうです。
浜田屋旅館を出発し、横町の町並みを歩きました。竪町同様に「屋号看板」が整備され、歩いているだけで当時の旅人の気分を味わうことができます。横町を通り抜けると、次は四泊一里塚です。大石・長久保の信号とも、交通量が多いので、道路を横断する際は十分気をつけて渡りたいですね

四泊一里塚から落合橋へ

四泊一里塚皆さん「一里」って何の単位か、わかりますか?実は「距離」のことなんです。「一里は約4キロ」、笠取峠頂上の一里塚(立科町側)から、この四泊一里塚まで、約4キロ歩いてきたことになります、勉強になりますね。
落合橋四泊の一里塚を過ぎ、落合橋を目指して歩きます。歩道が狭いので通行する際は十分気をつけましょう!四泊一里塚から約10分ほど歩くと、落合橋に到着します。
落合橋は、明治初期に大門方面から撮影された写真と、和田方面から撮影された写真が残されており、比較してみると当時の面影がそのままの形で残っています。(左ページ写真参照)

水明の里公園から和田宿へ

中組バス停落合橋を出発し、水明の里公園で一休み。公園では、京都から中山道を旅しているというご夫婦と、お互いに旅の健闘と安全を祈りました。

水明の里公園を出発し、藁葺き屋根のバス停を過ぎ、若宮八幡宮に到着。
ここには戦国時代、武田信玄との戦いに敗れ自害した和田城主・大井信定親子の亡骸が埋葬されています。

和田大井氏の碑にお参りをし、若宮八幡宮を出発。上組の一里塚に到着しました。「さて今井君、ここに『江戸から四十九里』と書いてありますが、約何キロでしょう?」と勝見さん。「一里が4キロだから196キロ位です!」正解だったようです。「次の一里塚が楽しみですね!」美絵さんはまだまだ元気です。

上組区から原区へ通じる「狐坂」を登り、和田小・中学校が見えてきました。わが母校はいつ見ても素晴らしい。

中学校を過ぎ八幡神社へ、木陰で涼んでいた中学生と談笑し、和田宿に入りました。この場所も昔の面影を色濃く残しています。「かわちや」「大黒屋」「羽田野」を過ぎ、いよいよ和田宿本陣です。

和田宿本陣から旧和田峠入口へ

和田宿本陣和田宿本陣は資料館となっており、町民は無料で見学することができます。当時の資料が数多く残されており、殿様が使ったお風呂場や引き出し式のトイレなど、他では見ることのできない物がたくさん展示されています。

羽田野本陣で学習した後、お腹が減ったので「農家レストラン・かあちゃん家」で夏限定カレーとシソジュースを頂き、これから待ちかまえている「難所・和田峠」に向けての準備を整えます。

かあちゃん家を出発し、脇本陣・本亭旅館さん・よろづやさん・高札場跡を過ぎ、鍛治足区へ向かいます。和田宿本陣から鍛治足区にかけても、長久保宿と同様に「屋号看板」が飾られており、とても趣深い町並みです。

うしやど鍛治足の一里塚から大出旧道に入り、依田川沿いを歩きます。杉の屋さん脇の「うしやど」跡を過ぎ、唐沢の一里塚へ。「大型トラックが頻繁に通るので要注意ですね。あっ万歩計の確認を忘れてました。笠取峠の頂上から、ここまで、ちょうど2万歩です。ゴー
ルまであと少し、頑張りましょう!。」と美絵さん。挫折しそうな私をいつも引っ張ってくれます。感謝です。

唐沢一里塚途中から山道に入り、進んでいくと唐沢の一里塚です。「勝見さん、この一里塚は今までと雰囲気が違いますね。」「今井君良く気が付いたね、この一里塚は当時の姿のまま、ここに残さているんだ。対で残っている塚は、五街道中でも珍しいと思うよ。」不思議なパワーを感じながら、一里塚を後にし、旧和田峠入口に到着しました。

ゴールを目指して

石畳旧和田峠歴史の道は、和田中学校の生徒により整備されており、とても歩きやすい山道でした。三十三体観音にお参りし、永代人馬施行所(和田峠接待)に到着。黒耀の水で顔を洗い、東餅屋を目指します。途中、近藤巡査の碑にお参りし、石畳を抜け、ゴール直前の東餅屋が見えてきました。

東餅屋の石垣は昔と変らず、その面影を今も残しています。少し休んで和田峠頂上へ向け再びチャレンジ。ビーナスラインと原道が交錯し、幻想的な雰囲気を醸し出しています。旧和田峠スキー場の脇を登っていくこと約10分、標高1600メートル、中山道最高地点である古峠に到着しました。

古峠やったぞ!全走行距離23キロ、総歩数3万4260歩、笠取峠頂上から和田峠頂上まで歩ききったぞ!町を縦断している中山道を歩ききった充実感で私は満たされました。

今回の旅を通じて一番感じたこと、それは「地域住民が中山道のことを大切に想い、そして、自の手で守っているということ」です。私はこの事実を長和町民として「誇り」に思います。

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