笠取峠頂上から長久保宿まで
長久保宿( 竪町)
てくるよね。ちょうど歩き出して1時間。一福処濱屋で休憩していこう。」と勝見さんに案内され、濱屋の中に入りました。
お茶はセルフサービスで飲むことができ、座敷からは整備された庭園を見ることができます。5月には、向かいの天神山にツツジの花が咲き乱れ、とても綺麗なんです。また濱屋は長久保宿の資料館でもあり、当時の人々の生活の様子を伺ことができます。無料開放されていますので、皆さんもぜひ訪れてみてください。
長久保宿(横町)
この浜田屋旅館さんは、長久保宿唯一の旅館で、女将の黒澤直子さんに旅館の中を案内してもらいました。館内同様、日本庭園も落ちついた雰囲気で素晴らしかったです。今でも多くの旅人がこの宿を利用するそうです。
浜田屋旅館を出発し、横町の町並みを歩きました。竪町同様に「屋号看板」が整備され、歩いているだけで当時の旅人の気分を味わうことができます。横町を通り抜けると、次は四泊一里塚です。大石・長久保の信号とも、交通量が多いので、道路を横断する際は十分気をつけて渡りたいですね
四泊一里塚から落合橋へ
落合橋は、明治初期に大門方面から撮影された写真と、和田方面から撮影された写真が残されており、比較してみると当時の面影がそのままの形で残っています。(左ページ写真参照)
水明の里公園から和田宿へ
落合橋を出発し、水明の里公園で一休み。公園では、京都から中山道を旅しているというご夫婦と、お互いに旅の健闘と安全を祈りました。
水明の里公園を出発し、藁葺き屋根のバス停を過ぎ、若宮八幡宮に到着。
ここには戦国時代、武田信玄との戦いに敗れ自害した和田城主・大井信定親子の亡骸が埋葬されています。
和田大井氏の碑にお参りをし、若宮八幡宮を出発。上組の一里塚に到着しました。「さて今井君、ここに『江戸から四十九里』と書いてありますが、約何キロでしょう?」と勝見さん。「一里が4キロだから196キロ位です!」正解だったようです。「次の一里塚が楽しみですね!」美絵さんはまだまだ元気です。
上組区から原区へ通じる「狐坂」を登り、和田小・中学校が見えてきました。わが母校はいつ見ても素晴らしい。
中学校を過ぎ八幡神社へ、木陰で涼んでいた中学生と談笑し、和田宿に入りました。この場所も昔の面影を色濃く残しています。「かわちや」「大黒屋」「羽田野」を過ぎ、いよいよ和田宿本陣です。
和田宿本陣から旧和田峠入口へ
和田宿本陣は資料館となっており、町民は無料で見学することができます。当時の資料が数多く残されており、殿様が使ったお風呂場や引き出し式のトイレなど、他では見ることのできない物がたくさん展示されています。
かあちゃん家を出発し、脇本陣・本亭旅館さん・よろづやさん・高札場跡を過ぎ、鍛治足区へ向かいます。和田宿本陣から鍛治足区にかけても、長久保宿と同様に「屋号看板」が飾られており、とても趣深い町並みです。
ルまであと少し、頑張りましょう!。」と美絵さん。挫折しそうな私をいつも引っ張ってくれます。感謝です。
途中から山道に入り、進んでいくと唐沢の一里塚です。「勝見さん、この一里塚は今までと雰囲気が違いますね。」「今井君良く気が付いたね、この一里塚は当時の姿のまま、ここに残さているんだ。対で残っている塚は、五街道中でも珍しいと思うよ。」不思議なパワーを感じながら、一里塚を後にし、旧和田峠入口に到着しました。
ゴールを目指して
旧和田峠歴史の道は、和田中学校の生徒により整備されており、とても歩きやすい山道でした。三十三体観音にお参りし、永代人馬施行所(和田峠接待)に到着。黒耀の水で顔を洗い、東餅屋を目指します。途中、近藤巡査の碑にお参りし、石畳を抜け、ゴール直前の東餅屋が見えてきました。
東餅屋の石垣は昔と変らず、その面影を今も残しています。少し休んで和田峠頂上へ向け再びチャレンジ。ビーナスラインと原道が交錯し、幻想的な雰囲気を醸し出しています。旧和田峠スキー場の脇を登っていくこと約10分、標高1600メートル、中山道最高地点である古峠に到着しました。